鉄道 唱歌。 鉄道唱歌・完全版

(第1集66番) 明けなば更に乗りかえて を進ままし 天気は明日も望あり 柳にかすむ月の影• (第4集71番) 駅夫の声におどろけば 眠はさめてに 着きたる汽車の速かさ 見かえる雲ふかし• (第5集64番) 治まる御代の さわがぬ波の いさみて出ずる旅人の 心はあとに残れども• メロディの最後にはのが流れるが、これは現在「号」を牽引している機関車「」のものである。 琵琶湖 ( びはこ )を 引 ( ひ )きて 通 ( とほ )したる 疏 ( そ ) 水 ( すゐ )の 工 ( こう ) 事 ( じ )は 南禪 ( なんぜん ) 寺 ( じ ) 岩 ( いは ) 切 ( き )り 拔 ( ぬ )きて 舟 ( ふね )をやる 智 ( ち ) 識 ( しき )の 進 ( しん ) 歩 ( ぽ )も 見 ( み )られたり• 「鉄道唱歌」の書籍は大正初期までの20年間に総計2000万部を売ったという。 現在廃止• 現: からは廃線• 東 ( とう ) 寺 ( じ )の 塔 ( たふ )を 左 ( ひだり )にて とまれば 七條 ( しちでう )ステーシヨン 京 ( きやう ) 都 ( と ) 々々 ( /\ )と 呼 ( よ )びたつる 驛 ( えき ) 夫 ( ふ )のこゑも 勇 ( いさ )ましや• さらに、この年の年末までに第5集までが発表された。 瀬田 ( せた )の 長橋 ( ながはし ) 横 ( よこ )に 見 ( み )て ゆけば 石山 ( いしやま ) 觀 ( くわん ) 世 ( ぜ ) 音 ( おん ) 紫 ( むらさき ) 式 ( しき ) 部 ( ぶ )が 筆 ( ふで )のあと のこすはこゝよ 月 ( つき )の 夜 ( よ )に• 大阪 ( おほさか )いでゝ 右 ( みぎ ) 左 ( ひだり ) 菜 ( な ) 種 ( たね )ならざる 畑 ( はた )もなし 神崎川 ( かんざきがは )のながれのみ 淺 ( あさ ) 黄 ( ぎ )にゆくぞ 美 ( うつく )しき• 國府津 ( こふづ )おるれば 電車 ( でんしや )あり 酒 ( さか ) 匂小田 ( はをだ ) 原 ( はら )とほからず 箱 ( はこ ) 根 ( ね ) 八 ( はち ) 里 ( り )の 山道 ( やまみち )も あれ 見 ( み )よ 雲 ( くも )の 間 ( あひだ )より• ありがとうございます。 初版との違いは注釈で示した。 伊豆と相模ですから、「豆相」が正解。 梅 ( うめ )に 名 ( な )をえし 大森 ( おほもり )を すぐれば 早 ( はや )も 川崎 ( かはさき )の 大 ( だい ) 師河 ( しが ) 原 ( はら )は 程 ( ほど )ちかし 急 ( いそ )げや 電 ( でん ) 氣 ( き )の 道 ( みち )すぐに• はるかにみえし 富士 ( ふじ )の 嶺 ( ね )は はや 我 ( わが )そばに 來 ( きた )りたり 雪 ( ゆき )の 冠 ( かんむり ) 雲 ( くも )の 帶 ( おび ) いつもけだかき 姿 ( すがた )にて• 名 ( な )たかき 金 ( きん )の 鯱 ( しやちほこ )は 名古屋 ( なごや )の 城 ( しろ )の 光 ( ひかり )なり 地 ( ぢ ) 震 ( しん )のはなしまだ 消 ( き )えぬ 岐阜 ( ぎふ )の 鵜 ( う ) 飼 ( かひ )も 見 ( み )てゆかん• 明 ( あ )けなば 更 ( さら )に 乘 ( の )りかへて 山陽道 ( さんやうだう )を 進 ( すゝ )まゝし 天 ( きん ) 氣は ( き 〔 〕 ) 明日 ( あす )も 望 ( のぞみ )あり 柳 ( やなぎ )にかすむ 月 ( つき )の 影 ( かげ ) この著作物は、1937年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、の期日(を参照)の時点でが著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域での状態にあります。 (第6集20番) 土地の話を耳に聞き 変わる景色を目に見つつ 慰むほどに呼ぶ声を 聞けばか早ここは その他、最後では以下のように次の旅(次の集)へ続くことを表したもの、または旅の終わりを祝うないし惜しむ歌詞も見られる。 大和田建樹の生誕100周年と鉄道開業85周年に当たる(昭和32年)、大和田の門弟らが結成した同人「待宵舎」が記念碑の建立を発案し、や、らの賛同や協力を得て『鉄道唱歌の碑』が同年10月に設置された。
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